22歳になりました。(ja)

22-years-old

2014年1月24日、無事に健康に22歳を迎えることが出来ました。(右奥の歯の詰め物がとれて常に気になっていることを除いて) 今年もたくさんの方からFBでお祝いメッセージをしていただき、嬉しかったです。メッセージを書いてくださった方々本当に有難うございました。 「あ、書いてない・・」って人もいつでもいいので送ってくださると、お祝いメッセージなんていつもらっても嬉しいものですので日付とか関係なくぜひ下さい!⇠

バイト先でもお祝いしていただいて、本当にありがたいことだと思いました。PARKERのペンと、里中李生という方の著書「時代に迎合しない男の極意」を頂きました。いつもチームの皆さん、特に上長のI口さん、エンジニアの先輩方には正直迷惑しかかけておりません。そんな中、いつ質問してもいつも優しく自分の成長のことを考えてアドバイスをしてくださったりヒントをくださったり。恩をたくさん受けていると感じています。

もう22歳。「立派なオトナ」と言われる年齢になってしまいました。「立派なオトナ」の世界に埋もれる前に、少しだけ過去を振り返ってみたく思います。

学生時代を振り返る

小学時代

一番印象、記憶に残っている年齢は小学校6年生の時(もう10年位前)で、自分は何でもできると思っていました。父親が当時55歳くらいで、「55歳って松井の背番号と一緒だ!」「55歳とかまじ永遠みたいに遠い話じゃん!」「今から頑張ってれば、俺何でもできるやん!人生最高!」というふうに思っていました。小学時代は、そんな感じの「何でもかんでも大吉!」な時代でした。

中学時代

小学校を卒業して地元の中学校に入りました。中学時代に一番印象に残っていることと言えば、とにかく当たり前の日々・学校の人たちの雰囲気に嫌気がさし、イライラする毎日だったように思います。それがいわゆる「反抗期」と呼ばれるものだったと思っています。「嫌気」、「うっぷん」を晴らす的(まと)はいつも家族でした。特に母上には今言われれば理解できないほどに辛い言葉を平気で言い放ったりしていました。ある日、祭りがあった夜に友人たちと集合し、学校の下駄箱にスプレーで気に入らない後輩の名前を書き荒らすという何とも田舎の学生がやりそうな「誰得なのそれ」的なことをやったことがありました。その行いが終わって家に帰ろうとした時、仕事を終えて帰ろうとしていた先生の車に見事に照らされ見つかり、翌日、自分は朝の学校で、母上は夜、仕事の忙しい時間に呼び出しをされました。「呼び出されるほどの悪さをするのは別に仕方のないことかもしれないけれど、嘘をつくのだけはやめなさい。」そう言われた時、何か自分の中にジュワー。とくるものを感じ、泣いて反省をしたのを覚えています。中学時代といえば、その時の記憶が印象強く残っています。はー、あんまり思い出したくもない思い出です。

おかげでというと変かもしれませんが、なので最近は親孝行を少しでもしよーという思いと息抜き兼ねてちょこちょこ親戚や両親に手紙を書いたりしています。それで今までの恩を返せているとももちろん思っていませんが、それでも「しないよりかはいい、よな・・・?」という感じで、たまに書いて送っています。

高校時代

話が逸れました。次は高校時代です。高校時代は、「試練」「悔しさ」「努力」の記憶が強いです。入学当初は、「今まで生きてきた中でダントツで一番勉強した!」と誇れるほどの勉強をしたにもかかわらず学年では本当に真ん中の成績で、全国にはこれほどまで高いレベルの人たちがいるのか・・・と、名門校でも何でもない学校で初めての学業での壁を感じ、すごく悔しかったのを覚えています。

そこから、マイペースを維持しつつも少しずつ他人から吸収することを覚えました。「見る→真似る→工夫する→血肉化する」というプロセスを体現したのは高校時代でした。別にそれも入学してすぐの挫折の後、すぐにできるようになったわけではなく、むしろ卒業間近、最後の学期でようやく実ったという感じでした。全寮制の生活の中で親友も出来ました。

今正直に思うことは、自分は高校を卒業する時から何も変わっていないのではないかということです。 先日、高校のときの先輩二人(1年上、2年上の先輩方それぞれ一人ずつ)と飲んだのですが、「高校3年、卒業間近の時が人生で一番頑張っていたし、一番輝いていたと思う..」という話をしました。「えー?」というようなリアクションをされましたが、実際そのように感じています。特に一番最後の学期は、「負けたくない!」と強く思い、学生としての多忙のスケジュールの中で必死に努力をして限界突破を試み、実際にその努力が成果として自分に帰ってきていることを一番実感できた時期でした。ですがそれも、別に学年で1位を取ったとか数字的な話ではなく、あくまで感覚的な意味で、ですが。

大学時代

大学時代は高校の頑張った時代とは真逆で、あまりにも大学での学業に関して「怠惰」「本能に身を任せた」時期でした。逆に何も頑張らずに「ないものねだり」の3年間だったとも思います。「サーフィンとかもしてないの!?」「海で遊んだりもしてないの!?」「もったいなーーーーーーーーーーい」と何度言われたことでしょう。正論すぎて「いやほんとそうですよねぇ」としか言えない自分。そして「惨め極まりない…」とも別に思っていないあたりがもはや救いようgnいじぇお

2011年3月11日の震災があったとき、大学では1年の後期の時期でした。震災後、僕はインターネットで情報収集をしたり色々な人がインターネット上で色々な活動をしているのを目の当たりにして、インターネットの可能性、必要性を感じました。それからの僕の大学生活はガラッと変わったように思います。とにかくインターネットメディアへの関心を抑えきれず、Twitterを筆頭に、WordpressやUstreamや色々な情報を得ることに没頭していました。Twitterのタイムラインを文字通り「永遠に」と見ていました。面白そうなスタートアップの情報、クラウドファンディング、家入さん、インターネット×政治、インターネット×教育、etc..大学の授業から学んだことは少なく(とにかく課題をいかに効率的に終わらせるかということを考えていた)、インターネットでの学びが大学時代の学びといっても過言ではないかもしれません。そういう意味では、インターネットを通してインプットを意欲的に行なった大学生活だったと思います。まさにインプット全盛期ですね。肝心だとよく言われるアウトプットに関しては注力できませんでしたが。

そうして大学をなんとか早めに卒業し、今は大好きなインターネットメディアに関係するお仕事をできる会社の内定者として、アルバイトをしている最中です。成長するために必要な条件はすべて揃っている、本当に贅沢な環境だと思っています。

22歳になって思うこと

ただ、22歳になり、改めて過去を振り返ってみて納得したことが一つあります。それは、語弊を恐れずに言うと、自分は「他人を中心に考え、行動している」ということです。ここで言う「他人」の定義は、「自分に身近に関わっている人」、そして「困っている人」です。さぁ、「うわ、偽善者だー!」「へぇ・・良い事言うね・・・(偽善者め)」という読者の心の声が聞こえてきそうです。が、そこはスルー出来ないけどスルーするとして、「他人のことを考えて(他人のために)行動する」というのが、22年生きてようやく見出した自分の根源のようなものです。

なぜ「他人のために行動する」ことが自分の根源だと思うのか?その理由は過去を振り返れば明白で、(ただそれを説明ベタの自分が上手に伝えられるのかが永遠の課題。)

高校の時、勉強したくない自分を駆り立てたのは「尊敬できるあの先生を喜ばせたい!」という気持ちでしたし、大学時代Twitterをやりながら考えていたことは「この人とこの人が出会って仲良くなったらぜったい面白くなるなぁ〜」「このサービス周りに教えたら役に立ちそう!」でした。そして時折、僕が手紙を親戚や両親に書くのは僕がそうしたいと思うのもそうですが、そうすることで「きっと喜んでくれるだろう」と思うからです。

つまり何が言いたいかというと、直接「他人のために」を行なっている仕事をしていくことが自分が活躍するのにもっとも適した生き方だな、と確信したということです。インターネットサービスの多くは、もちろん「どうしても必要とされているもの」を提供しようとするサービスもありますが、どちらかと言えば「娯楽」や「欲」を満たすサービスが多いように思います。それらが悪いと言っているわけでも、サービスの種類や目的から良し悪しを見出そうとしているわけではなく、「他人がどうしても必要としているもの」を提供することを目的としたサービスをつくったり盛り上げていきたいと思っている、ということです。

22歳の目標

なので、22歳の自分の目標は、そのようなサービス作りだったり、既存のそのようなサービスをもっと多くの人に認知させ、盛り上げるということです。その目標を達成するためなら、何でもやる所存です。なぜなら、振り返れば22年、「他人のために」行動してきた記憶が一番残っている。つまりそういう人生だったわけで、それはもう自分の根源だと実感しているからです。自分の根源を活かして仕事をする、これほど自分にとって理想的なことはないと思います。これからもよろしくお願いします。恩は活躍で返します!!!

こちらもよろしくお願いします д゚)チラッ